風俗嬢を彼女にするなら…
僕が風俗嬢にもてるワケ
江戸時代、吉原の遊女が惚れた客のことを間夫(まぶ)と呼んだ。
その後、意味が転じて数が希なことを “まぶ” と呼ぶようになった。
心を許せる数少ない親友のことを「マブダチ」と呼んだり、美女を「マブイ」と呼ぶのもこの語源からきているらしい。
間夫とはそれほど希少な存在であったわけだ。
時は移り、現代においても風俗嬢が客に惚れることは、まずめったにない。
金銭を受け取る彼女たちはそれに見合ったサービスを客様に施すのだが、男は純情なものでそれを
「おれのことだけは特別に思ってくれてる」
と錯覚してしまう、あるいはそう思わせてしまうのが彼女たちの腕なのだろう。
二十代のころ、僕もまたこの錯覚に陥っていた。
客で行って口説けるなら、彼女たちのこころをつかめるだろうと思ってみたが、そう簡単に彼女たちのテリトリーに入り込むことはできなかった。
ところが、である。
ここ数年で変化が起きた。
僕は彼女たちからモテる、というよりも受けがよくなった。
僕が彼女たちにモテる理由を書きたいところだが、僕白身モテるとは思っていない。
正確には「受けがよくなった」といったほうが正しい。
「依存症」という共通点
四十歳のフリーの物書きが、何故二十歳前後の娘たちから受けるようになったのか、理由をつらつら考えてみると、ふたつ思い当たることがある。
ひとつは薬物依存症を経験したことである。
三十代半ばからコカイン、覚醒剤、それに睡眠薬に夢中になった。
なかでも、はまったのが睡眠薬である。
酒がまるで飲めない僕は、アルコールと同様の作用があるこのドラッグにすっかりいかれてしまった。
五年ほどで、ようやく乱用から遠ざかることができたけれど、その間、複数の女たちが呆れて僕のもとを去ってしまった。
この期間を経て僕は立派な依存症 になったことになる。
依存症といえば風俗嬢もまた、広い意味での依存症にかかっている場合が多い。
そこで登場するのがアダルトチルドレンである。
両親のどちらか(その多くは父親だが)に問題を抱えた家庭で育った娘のことを指す用語である。
親を尊敬できないで育った彼女たちは、親の重石が取れたために、世間から見ればあまり感心しない行動をとりやすくなる。
AV女優や風俗嬢に多く見られる片親の家庭というのも、そんな背景があるわけだ。
そして、彼女たちは成長するにつれて暗い過去を忘れたいがために、夢中になれる対象を追い求める。
それはシンナーであったり、酒であったり、ドラッグであったり、恋愛であったりするのだが、なかでも恋愛は彼女たちを虜にしてくれる格好の対象になる。
その際、平穏な恋愛は彼女たちにとって物足りなさを感じさせてしまうので、常に彼女たちの相手役となる男は、どこか欠落して問題を抱えた人物になる。
そんな男を懸命に世話することで、彼女たちは、わたしもこの世に生まれてきた価値があったんだわ、と存在欲求を満たすのである。
だめな男は彼女に依存しているように見えるが、実は彼女もまただめな男がいないとやっていけない奇妙な人間関係の依存、これを共依存と呼ぶ。
思えば、薬物依存に陥った僕はだめな男の部類に入ってしまったことになり、この時点で風俗嬢との共通項を得たことになる。
あれ以来、傷を持った者どうしが感じる仲間意識を僕も共有したのである。
不安神経症を経て、見えてきたもの
風俗嬢に受けるようになったふたつめの原因は、二年前にかかった不安神経症体験であろう。
小さなモヤモヤが夕立雲のように膨れ上がり、不安となって襲いかかってくる。
生まれて初めて味わう神経症に心底打ちのめされた僕は、般若心経を読んだり人生訓のようなものを熟読したが、救いを得られなかった。
精神の地獄を体験した僕を救ってくれたのは、あるがままに物事や感情を受けとめて為すべきことを為していくことで症状を軽減していく神経療法を学んだことだった。
あるがままの精神とは、つまり自然体で生きていくことである。
背伸びをしたり見栄を張ったり肩肘張ったりすることを放棄して、ありのままの自分を隠さずに生きていく。
人間は闘いつづけるかぎり、いつかポキリと折れてしまう。
僕はありのままの姿をさらけ出すことが長丁場の人生を生きていく上でもっとも大切なことだと知った。
そんなことを知ると、生きることがとても楽になる。
それまで風俗店に行けば、彼女たちの前でつい、いい格好を見せていた自分が、このときを境にどうでもよくなった。
男なら一度や二度はあるはずだが、風俗店に行って肝心の物が役立たずになることがある。
男は常に体面を重んじる生き物なので、こんなときはどうもばつが悪くなるものだ。
僕も時々こんな場合があるが、例のあるがままの精神で、立たなかったらそれでいいじゃないかという気持ちで、彼女たちと接するようになった。
とにかく風俗嬢の前で気取ることをいっさい放棄したのだ。
放棄したら、どうなったか。
彼女たちと同じ視線でいられるようになったためか、以前よりも深い会話が交わせるようになったのである。
神経症になると、生きていく上で自分だけではどうにもならないことを悟る。
すると相手に対して少しだけ前よりもやさしくなれる。
風俗嬢に対しても然りである。
神経症経験を知ったおかげで、僕は人間のこころの痛みを少しだけわかる男になった。
ソープ嬢が「女」に戻るとき
一年半前にで知り合った彼女がいる。
大分県出身の二十二歳の彼女は、新橋の会社でOLをしていたが、給料が安いために夜は銀座のクラブでアルバイトするようになった。
そのうち夜の仕事のほうが忙しくなり、勤め先を辞めてしまう。
クラブの常連客だった五十代の会社経営者の愛人になってはみたものの、相手が妻と別れておまえと一緒になると言い出したために、一年で縁を切ってしまった。
彼女がクラブを辞めたのは、それから三カ月後のことだ。
「水商売やってると自分がおかしくなってきちゃうの。お客をだまして長く店につなぎ止めておくことしか頭にないんだもん。うそばかりの世界だから、疲れてきちゃったの」
クラブを辞めた彼女は、友人のホステスに誘われて一緒に吉原で働くことになる。
「最初はちょっと抵抗があったけど、お客に寝るような素振りを見せてつなぎ止めておくよりも、ずっと精神的に健康だと思ったの。ソープはうそがない世界だから」
七万円の高級ソープで働くようになった彼女は、指名上位に顔を出す売れっ子になった。
たまたま彼女を指名した僕は、そのとき肝心の物が調子よくなかった。
以前ならば必死の思いでなんとかしようと思うのだが、そのときは立たせることを放棄した(例の、あるがままの精神である)。
脚フェチの僕は、そのかわりといってはなんだが、彼女のきれいな脚を祇めたり噛んだりしてたわむれた。
小さな悲鳴を上げる彼女にかまうことなく、脚に抱きついたりもした。
帰り際、仕事場の電話番号をメモした紙片を彼女に手渡すと、一週間後に電話がかかってきた。
仕事場のある高田馬場で、ふたりはイタリア料理を食べた。
「なんで逢おうとしたんだよ」
「おもしろいんだもん」
考えてみれば、ソープで脚に噛みつく男はあまりいないだろう。
それから二回、外で食事をする関係になり、三度めに彼女の住むマンションに泊まるようになった。
ひとり暮らしの僕にとって、できたての朝食を食べさせてもらえることは至福のときでもある。
ソープ嬢がひとりの女に戻ってセックスするときは、男もかなりがんばらないといけないと思いがちだが、現実はそうではなかった。
初対面のときと同じように部屋で彼女の脚を噛んだり砥めたりしているうちに、気づくとベッドで交わっていた。
エクスタシーを感じさせるためにがんばろうなどとは思わない。
普通に抱き合って普通に事を進ませるだけだ。
何百人もの男の愛撫を受けているので、相当こちらも手慣れていないと彼女を満足させることはできないと思っていたが、ごく自然のことをするだけだった。
いや、むしろOLや女子大生とのセックスよりも単調だったかもしれない。
いかせるために腰を技巧的に動かすこともしない、ただ抱き合って実直に突くだけだ。
技巧的な愛撫や抽送は仕事でいやというほど味わっているので、かえってこんな単調なセックスが彼女にはいいのだろう。
もちろん僕もそのほうがいい。
息ができないほど強く抱きしめ単調な腰の動きがつづくうちに、彼女からこちらの唇を求めてきた。
僕がいきそうになると
「まだ、だめ」
と甘えてくる。
このときばかりは、あるがままに出してしまうことはしないで、がんばることにした。
「不合格」の印を押された女
池袋の性感へルスで働く二十歳の娘がいる。
彼女と出会ったのは半年前、友人のAV監督が風俗店紹介のビデオ撮影をするので、取材がてら付き添っていったときだった。
八ミリビデオカメラを手渡された僕は、ヘルス嬢たちをひとりずつ個室で自己紹介風に撮影することをまかされた。
そのなかのひとりが彼女だった。
僕には脱がせの話術もなければ、男優ほどのテクニックもない。
緊張するヘルス嬢を前にした僕は、カメラで彼女を撮影しながら口からでまかせに
「合格!」
と叫んだ。
より正確に表現すれば、このときの発音は
「ごおかーあーくっ!」
である。
このひと言でたいていのヘルス嬢からクスッと笑みがこばれる。
シーンとしては捨てがたい、いい表情だ。
とりわけ二十歳の彼女は気持ちよく笑った。
腰から脚にかけてのラインがとてもきれいだったので、ついカメラを持ちながら祇めてしまった。
そして諏め終わったあとで、
「ごおかーあーくっ!」
としめくくることも忘れなかった。
撮影が終了すると、彼女から名刺を手渡された。
「今度、食事しに行こうよ」
と僕が言うと、
「いいよ、いこ」
と言葉が返ってきた。
取材慣れしている子なので、社交上のあいさつみたいなものだと、このときは思った。
三週間ほど経ってからだ。
夜の十一時頃、仕事場にその彼女から電話が入った。
「約束の食事、もう忘れちゃったの?」
あの言葉は本当だったのだ。
書きかけの原稿を中断して、一路彼女が住む千葉のある街まで一時間半かけて車を飛ばした。
彼女の案内で行きつけのカンボジア料理店に入り、雑談に興じた。
20歳の性感へルス嬢は、ぼつりぽつりと自分の過去を語ってくれた。
アルコール依存症の父は、彼女が中学時代から仕事もしないで競輪·競馬にのめり込んでいた。
中学生のころから地元のレディースに入っていた彼女は、非行を繰り返し、私立女子高を二年で中退してしまう。
今の仕事に就いたのは一年前だ。
「お金はほとんど父親の借金を返すのに消えちゃうの。今まで親不孝ばかりしてきたからね。おかあさんが泣くの、もう見たくないし」
店で一番人気がある彼女は毎月300万円近くの収入を得て、その大半を家に入れている。
親には水商売で働いていると言っているが、そのうちバレるのを覚悟している。
彼女もまた、自分の幸福よりも相手のために尽くしたがるひとりだった。
「なんで、こんなおじさんと食事するの?」
「頭よさそうだし、頼れそうだから」
海の見える街道を車で飛ばしながら、頃合いを見てキスしようとした。
すると彼女は軽い抵抗をした。
「キスはしないの。仕事ができなくなっちゃう」
性感ヘルスは濃厚なディープキスが売り物である。
彼女にとってみれば、キスはあくまでも商売道具のひとつなのだろう。
その夜は何も起こらないまま別れた。
それから一カ月ほど経って、僕の部屋に泊まりにきた彼女とベッドに入ると、ごく自然にふたりはキスを交わし、ごく自然に結ばれた。
情事の後、隣で寝息をたてている彼女を見ながら思った。
風俗嬢の多くは、生きていく過程でずっと「不合格」のスタンプを押されてきた子たちだ。
彼女たちは合格のスタンプをもらいたがっている。
いや、彼女たちだけではなく、ほとんどすべての人間は「合格」と言ってもらいたいために今を生きているのではないのか。
そんな彼女たちにこれから先、僕は
「ごおかーあーくっ!」
と言いつづけてあげようと思った。
それはまた自分自身に対する励ましの言葉でもある。
ある自宅出張ホテトル嬢との出会い
自宅出張ホテトル嬢の彼女との出会いは今から四年前だ。
そのころはまだ○○○にはまっていた時期で、深夜、ひとりで部屋に龍りトリップしていると人恋しくなり、部屋まで来てくれるホテトル嬢を呼んでいた。
20歳の彼女が部屋に来る数分前まで、僕はアルミホイルの上に○○○をまぶして、下からライターで究り吸引していたのである。
気分が高揚しているので、つい気を許して彼女にも勧めてしまった。
ところが彼女は、こちらよりも一枚うわてだった。
「炙りなんかやってちゃ、だめじゃない。こっちよこしなさい」
話を聞くと、彼女の同棲相手は覚醒剤の密売で生計を立てているどうしようもない男だった。
「わたしはもう、そういうのとはすっぱり手を切 ったから」
心配そうに僕を見ている彼女は、えへらえへらとアルミホイルを取り出した僕を制止した。
この○○○はドーパミンを異常分泌させるので、頭の中が快感でいっぱいになってしまう。
その一方で毛細血管が収縮してしまうので、肝心の物が役に立たない。
結局、その夜は話をしただけで別れてしまった。
彼女は透き通るような白い肌の持ち主で、十代のうちにいろいろな体験を積んだ者だけが持つ妙な色気を全身から放っていた。
その彼女から自宅の電話に連絡が入ったのは、一カ月半ほど経ってからだった。
「仕事が空いたので会わない?」
と誘ってくる。
深夜だったが、僕は車を出して彼女を拾い、新目白通りのデニーズでとりとめのない話をした。
話によると、彼女は仕事仲間のうちでもかなりの売れっ子らしく、彼女を指名する客で連日スケジュールが埋まってしまうらしい。
「きょうは疲れたから仕事する気がないの」
たしかに目の前で笑みを浮かべながら子猫のような仕草でナタデココを食る姿には、男を惑わせる何かがあった。
彼女もまた小学生時代に父親がいなくなった。
母親は十歳ほど年下の愛人をつくったために、今は子どもたちと別々に暮らしている。
「なんで、こんなおじさんと逢うの?」
「だって話し相手になってくれそうなんだもん」
「それだけ可愛いんだから、モテるだろう。覚◯剤の売人とはもう縁が切れたの?」
「うーん……それが、まだなのよねえ」
「もっとちゃんとした男と付き合いなよ」
彼女は困った顔をして、
「だってちゃんとしてる人だと、わたしが不安になっちゃうんだもん」
とつぶやいた。
彼女もまた、恋愛の相手は問題を抱えた男を無意識のうちに選んでいるのだ。
それから彼女と二度ほど食事をして、三回目にはフォーシーズンズホテルでふたりはごく自然にキスをして、ごく自然に交わった。
さすがにふたりが出会った自宅で抱き合うことはできなかった。
事が終わり、彼女が客から人気を集めている理由がわかるような気がした。
情事の最中、彼女は
「いや」
とささやきながら小さな抵抗をするのだ。
男にとってみれば、それは征服欲をもろに刺激する興奮剤のようなものであった。
幼いころから親の庇護を受けることができないで生きてきた彼女は、いつの間にか男の支配欲を刺激するものを身につけていたのだ。
そんな匂いを放つ人間が風俗嬢には数多く存在し、その匂いに魅きつけられた男たちが彼女たちを追い求める。
昔も今も。
風俗嬢はインテリがお好き
僕は自分が間夫であるなどと思ったことはないし、相手にされないことのほうが圧倒的に多い。
しいて言うなら、風俗嬢の気持ちが少しだけわかってあげられる男にすぎない。
僕は付き合っている風俗嬢たちの仕事を批判したこともないし、そんな仕事そろそろ辞めにしたらどうだ、などと言ったこともない。
”自由主義史観”をとなえる人々が、従軍慰安婦を売春婦と呼ぶときの根底に秘めた差別的な見方を僕はしない。
その逆に、ヒューマニズムかフェミニズムに凝り固まった人々のように、風俗嬢を必要以上に持ち上げたり、性の商品化の犠牲者であるかのような見方も僕はしない。
僕という人間を理解して、僕の仕事に興味を持ってくれる女であれば、丸の内のOLも池袋の性感へルス嬢も、僕のなかでは等価である。
肉体労働者·やくざ·ホストが風俗嬢と付き合う三大職種であるが、彼女たちも二十歳を過ぎるころになると好みが変わってくる。
僕が付き合ってきた風俗嬢たちはみな「頭のいい人が好き」と言っていた。
無知の悲劇を彼女たちは成長するにつれて知るのだろう。
彼女たちに男の強さとやさしさを具現化してやれるのは、やくざやホストではなく、人の痛みを知ったときのインテリではないだろうか。
出会い系サイトの利用者はインテリが多いと聞く。
ならばあなたこそ、彼女たちを射止める有資格者ではないか。
「ごおかーあーくっ!」
と言ってくれる人物を彼女たちはいつだって待っているのだ。
とは言ってはみたものの、これを書いてから3年がたち、脳天気に「合格!」と言ってられなくなってしまった。
僕は妻帯者となった。
言い訳じゃないが、3年もたつと男だって変わるのだ。
そして一抹のやましさも感じている。
風俗嬢を嫁さんにできなかったことに・・・